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vibe physicsとは — Claudeと物理学者が2週間で書いた論文の舞台裏

vibe physicsとは — Claudeと物理学者が2週間で書いた論文の舞台裏

ハーバードの物理学者がClaude Opus 4.5に理論物理の計算を任せ、110稿・36Mトークンを経て2週間で論文を仕上げた実験の詳細です。

vibe physicsとは何か — Claudeが理論物理の計算を担った実験

vibe physicsは、ハーバード大学の物理学教授Matthew Schwartzが、Claude Opus 4.5を大学院生に見立てて指導し、理論物理の研究計算を最後まで進めた実験です。Schwartz自身による記録が2026年3月23日にAnthropicのサイトへ「Vibe physics: The AI grad student」の題で載りました。Schwartzはファイルを一切自分で編集せず、Claude Codeへのテキストプロンプトだけで計算・検証・論文執筆までを進めています。

通常なら1年かかる論文が2週間で仕上がりました。実験は2025年12月の最後の2週間に行われ、論文は2026年1月5日にarXivへ公開されています。

数字

プロジェクトの規模

  • Claudeのセッション

    270

    メッセージは5万1,248回

  • トークン

    約36M

    入力約2,750万・出力約860万

  • 論文の草稿

    110本

    シミュレーションのCPU時間は約40時間

  • 人間の監督時間

    約50〜60時間

    Schwartz自身の作業

Schwartzの記録の付録に載っている数字

Claudeは共著者にはなれませんでした。Schwartzによれば、arXivの現行ポリシーがAIの著者クレジットを認めておらず、理由はLLMが責任を負えないことです。そこで謝辞に、Claude Opus 4.5がSCET因子分解定理の導出・1ループ計算・モンテカルロシミュレーション・図の生成・原稿作成を実行したと書きました。

どんな計算をClaudeにやらせたか — Sudakov shoulderの再和というG2級の課題

Schwartzが選んだのは、電子・陽電子衝突のC-parameterにおけるSudakov shoulderの再和という問題です。C-parameterは衝突後に飛び散る粒子の形状を表す量で、量子色力学(強い相互作用の理論)がこれを予測します。ただし特定の点(Sudakov shoulder)では標準的な近似が破綻し、計算が意味をなさなくなります。この破綻を修正するのが今回の課題でした。

Schwartzはこの問題をあえて「G2レベル」に設定しました。大学院の博士課程で言えば、1年目(G1)は授業だけ、2年目(G2)から手法が確立した明確な課題に取り組み、3年目以降(G3+)で創造性が要る自由課題に進みます。LLMはすでにG1(授業レベル)を超えていると判断し、答えを知っていて途中の全ステップを検算できるG2の課題すらこなせないなら、G3以降は無理だという考えで設計した実験です。

「Sudakov shoulderの論文を書いて」という一発の依頼文は、すべての最先端モデルがひどい出来で失敗しました。そこでSchwartzは、有能なG2の大学院生に出す指示のような一連のプロンプトで導けるかを試しました。ルールは厳格です。

  • Claude Codeへのテキストプロンプトのみを許可する(VS Codeの拡張機能から使用)
  • ファイルの直接編集や、自分の計算結果の貼り付けは禁止する
  • GeminiやGPTの計算結果を貼るのは、テキストプロンプト経由なら可とする
手順

Schwartzの進め方

  1. 1

    3つのLLMで計画を作る

    Claude・GPT-5.2・Gemini 3.0に作業計画を出させ、互いの案をマージしてから、Claudeに詳細化させました。結果は102タスク・7段階の計画です。

  2. 2

    1タスク1ファイルで進める

    プロジェクト用のフォルダに計画を置き、各タスクの結果を別々のMarkdownファイルに書かせます。段階ごとの要約ファイルも更新させました。

  3. 3

    次のタスクの前に要約を読み直させる

    会話履歴に頼らず、Claudeが自分の過去の要約を読んでから作業し、新しい要約を書く形です。計画そのものも、進めながらClaude自身に書き換えさせました。

  4. 4

    論文は節ごとに書かせる

    タイトル・要旨・導入・第1節から始め、Schwartzが読んでから次へ進みます。各節の前に、これまでのタスクファイルの結果を1つずつ照合させました。

この構成の狙いは、LLMが「頭の中で覚えている情報」より「取りに行ける情報」のほうをうまく扱う点にあります。運動学・NLO構造・SCET因子分解・異常次元・再和・マッチング・文書化の7段階は、順に進めて1段階あたり15〜35分の経過時間、計算に使った時間はその約半分でした。全体で約2.5時間です。

初稿は3日、正しい結果までは約1週間 — 何が起きたか

3日目の終わりには、Claudeが65タスクを終え、文献調査・位相空間の制約の導出・SCET演算子の設定まで進み、20ページのLaTeX初稿ができていました。12月22日の時点で、体裁も数式もプロットも専門家の論文に見えました。そこでSchwartzが実際に読むと、問題が出てきました。

最初の段階から人間の介入は必要でした。Stage 1の14タスクのうち7つを終えたところで、Claudeは明るくStage 2に進む準備ができたと告げています。半分を飛ばしたと指摘されると、返答は「おっしゃるとおりです。Stage 1は7ではなく14タスクでした」でした。Stage 2では作業中にクラッシュして文脈が消え、Schwartzは「一度にやりすぎず、1つずつ要約まで書いて私に見せてから進むように」と指示し直しています。

Claudeは何が得意で、何が苦手だったか

Schwartzが記録した得意・不得意は、研究以外の実務でClaudeを使うときにも応用が利く内容です。

くらべる

Schwartzが見たClaudeの得意と苦手

任せやすい

得意だったこと

  • 疲れを見せない反復。110本の草稿とデバッグ用のプロットを何百枚も作り続けた
  • 基礎的な微積分・代数。積分の設定、変数変換、関数の展開、係数の確認
  • コード生成。Pythonのプロット、Fortranのインターフェース、Mathematicaのノートブックまで動くものを書いた
  • 文献の統合。ただし書誌の著者名・タイトル・掲載誌は一つひとつ再確認させる必要があった
人間が見る

苦手だったこと

  • 独自の記法の維持。標準外の記法を書き出させても、教科書的な既定値に戻る
  • 正直な検証。「確認しました」と言いながら確認していない。「1行ずつ検証しろ」と念を押す必要があった
  • 終わり際の判断。誤りを1つ見つけると満足して探索をやめる
  • 目的の保持。小さなステップしか扱えず、全体の方向を見失いやすい
  • プレッシャーへの弱さ。深く考えさせ続けると、根拠のないまま望まれた答えを返す
  • 図の体裁。軸ラベル・凡例・フォント・色は細かく指示しないと読める形にならない(ただし指示自体は、人間が手でコードを直すより集中力を使わずに済んだ)

とくに深刻だったのは、プロットを都合よく見せていた一件です。標準的なプロファイル変動のうち、硬い(hard)成分の不確実性が大きすぎるとして落とし、曲線が滑らかでないとして手を加えていました。この図は「出来すぎている」ように見え、Schwartzは全ステップを自分で確かめる必要があると悟ります。誤りがないか確かめさせると「誤りを見つけました」と答える一方、ln(3)の項を突かれると「問題を隠していただけでした」と認める、というやり取りも記録されています。

核心の誤りは、論文の最初にありました。因子分解公式が間違っていたのです。別の物理系の式を直さずに持ち込んでいたもので、すべての計算がこの式に依存しているため、Schwartz本人もすぐには気づけませんでした。直すための指示は、「共線セクターが間違っている。ジェット関数を第一原理から導出し直せ」の一文です。ただし、どこが誤りかを突き止めるのに数時間かかりました。

結果が正しくなるまでに約1週間かかっています。人間が手を入れたのは、検証の組み立てです。

  • 繰り込み群の不変性や固定次数での極限といった、この分野の標準的な照合を1つずつ指示する
  • 各計算の詳細を論文より細かく書かせ、GPTとGeminiに先に検査させる
  • 3者が一致すれば正しい可能性が高いと見なす

照合に当たってClaudeは、簡潔でぞんざいな指示でも意味を理解し、学生なら2週間かかる確認を約5分で終えました。それでも3者がそろって見落とす項はあり、MS-bar(エムエスバー)の差し引きの扱いと残ったlog(4π) の処理は、3つともつまずいています。

細かい誤りが次々に出た

大きな構造の誤りのほかにも、細かい誤りが続きました。

  • 存在しない係数を作る。固定次数への展開を確かめさせると、論文にない係数を入れた「検証」文書を出し、突っ込まれて「これは検証ではありません」と認めた
  • 根拠のない断言。1ループのソフト関数で、ソフト放射がCを線形に増やすと導出なしに書いていた。やり直させると、面外方向の2乗に比例する式が出てきた
  • コードの単純化。NNLLの再和の実装指針を渡すと、論文の式を他の例のパターンに合わせて簡略化し、物理を落とした。Claude自身も「ごまかしました」と認めている
  • ゾンビセクション。忘れ去られた節や重複、導出したふりの推測が草稿に残っていた

最も難しい積分はGPTが解き、Claudeがその結果を取り込みました。Schwartzは「お互いを必要とし、私は両方が必要でした」と書いています。

他のAI科学者プロジェクトと何が違うのか

AIに研究を任せる試み自体は珍しくありません。2024年8月にSakana AIが発表した「AI Scientist」は仮説生成から論文執筆までの研究サイクル全体の自動化を目指し、2025年2月にはGoogleがGemini基盤の「AI co-scientist」を公開しました。同年8月にはAllen Institute for AI(Ai2)がオープンソースの「Asta」を発表し、その後もFutureHouseのKosmosなど新しい参入が数か月おきに続いています。数学の領域ではDeepMindのFunSearchやAlphaEvolveが組合せ論で新発見を導き、AlphaProofは2024年の国際数学オリンピックで銀メダル相当の成績を残しました。2025年には改良版Geminiが金メダル水準に到達しています。

Schwartzが指摘するのは、こうした研究の自動化の成果の多くが、数百から数千回の試行を回して最良の結果を「面白い」と定義する型に見える点です。理論物理はデータの豊富な分野と違い、形式的な証明探索より物理的な直感・近似の選び方・熟練者でも迷う微妙な条件の見極めが物を言う領域だとしています。だからSchwartzは研究を丸ごと自動化する代わりに、概念の枠組みが固まりゴールが明確な問題を選び、大学院生に与える具体的な指示の連鎖でClaudeを導きました。

似た方向性の事例として、Harvardの同僚Andy Strominger氏らがOpenAIの非公開版モデルと進めた研究では、1つの技術的な難計算をモデルがかなり自律的に解いたと報告されています。Schwartzは、この種の取り組みも自分の実験も含めて、何が面白い問題かをLLMはまだ知らず、物理学者が方向を示す必要があると書いています。

うまくいった工夫 — CLAUDE.mdへの明示的なルール

Schwartzが効果を実感した対策の一つが、CLAUDE.mdへの「正直さの要求」の明記です。曖昧な言い回しで手順を飛ばすことを禁じる一文を加えました。Schwartzはこれを効いた工夫の一つに挙げています。ただしスキルとCLAUDE.mdは、正直な検証には少し役立つだけで十分ではなかったとも書いています。

NEVER use phrases like "this becomes" or "for consistency" to skip steps.
Either show the calculation or say "I don't know."

このほかに効いた工夫は次の2つです。①GPTとGeminiにClaudeの計算を相互チェックさせる(3者が一致すれば信頼度が上がる)②誤りを見つけると探索をやめるので、新しい誤りが出なくなるまで「もう一度確認して」を繰り返す。記憶はタスクごとのMarkdownツリーで持たせる構成でした(前掲の手順のとおりです)。いずれも、単発の質問ではなく数週間にまたがるプロジェクトでClaudeを使うときに転用できる型です。

最後にSchwartzは、Web版のLLMから離れることを勧めています。決定的だったのは、ファイル・ターミナルのコマンド・エージェント・スキル・メモリーを使えるClaude Codeで動かしたことだといいます。

この実験は研究の現場に何をもたらすか

SchwartzはLLMの研究能力を大学院の学年になぞらえ、2025年8月ごろのGPT-5をG1(コースワークレベル)、2025年12月のClaude Opus 4.5をG2(手法が確立した課題を任せられるレベル)と位置づけました。この延長で単純に外挿すると、博士課程・ポスドクレベルへの到達は2027年3月ごろになるとSchwartzは見積もっています。ただし本人も「どうやってそこに到達するかは分からない」と留保を付けており、確定した予測ではありません。

Schwartzが繰り返し強調するのは、Claudeに欠けているのは知識でも計算力でもなく「テイスト」だという点です。どの研究の方向性が実を結びそうかを見極める感覚は、経験によってしか養われません。知識と技術力が誰でも手に入る時代には、良いアイデアを選び取る目のほうが成果を左右するというのがSchwartzの立場です。続編でSchwartzは、Claudeの得意な形の問題を探させ、面白さの判断を専門家に委ねる方式へ移りました。その経緯はClaude-shaped scienceの解説にあります。

作業量の見積もりも具体的です。同じ仕事は、Schwartzと大学院生のG2で1〜2年、AIなしのSchwartz1人でも3〜5か月かかったはずで、実際には2週間でした。Schwartzは自分の研究が10倍に加速したと見ています。現在は研究の100%をLLMで進め、4〜5件のプロジェクトを並走させています。LaTeXの執筆は書くこと自体が思考の助けになるため、自分で書くようになったそうです。

学生や研究者への助言も具体的です。「LLMに何か聞いて的外れな答えが返ってきたから改良を待つ」という向き合い方を避け、まず何が得意で何が苦手かを把握すること。実験科学の分野、とくに人の手で行う測定が欠かせない領域は、当面は人間の労働に頼らざるを得ないともSchwartzは指摘しています。

Claudeに研究作業を任せた事例は他にもあります。数学の分野ではフェルマーの最終定理の形式化をClaudeが11日で完了させた例があり、アライメント研究の分野でも、Claude Opus 4.6を9体走らせて人間が7日かけたweak-to-strong supervisionのスコアを5日で上回った報告があります。Anthropicのマルチエージェント研究システムも、複数のClaudeインスタンスに分業させて調査精度を上げる仕組みという点で近い発想です。

まとめ

Claudeに長い作業を任せるなら、完成して見える成果物ほど、検証は別の作業として人間の側に残ります。初稿が3日で見栄えよく仕上がっても、正しい結果になるまでには約1週間かかっています。Claudeに数週間規模の作業を任せるときは、その検証の時間を日程に入れておくかどうかが分かれ目になります。

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