ノンネームシートの作成にClaudeを使う手順 — 財務資料の匿名化から企業概要書まで
M&Aのノンネームシート(企業概要書)をClaudeで下書きする手順。社名入りの財務資料は渡さず、手元で数値をレンジにしてから依頼し、完成後に再識別されないかを点検します。
M&Aのノンネームシート(企業概要書)をClaudeで作るときの要点は、順序にあります。社名の入った決算書や事業計画をそのまま渡さず、手元で数値をレンジに丸め、固有名詞を置き換えてから、Claudeには文章の組み立てだけを任せます。完成後は、別のチャットで「この文書から会社を特定できる手がかりはあるか」を洗い出させます。
ノンネームシートは、譲渡候補先に社名を伏せたまま事業の概要を見せる1〜2枚の資料です。社名を消すだけでは足りず、所在地・沿革・取引先・数値の組み合わせから会社が割れることがあります。何を消し、何をぼかし、何を残すかを順に並べます。
財務資料をClaudeに渡す前に決めること
最初に決めるのは、原本をClaudeに渡すかどうかです。この記事は「渡さない」設計で組みます。理由は、案件の秘密が外に出る経路を最小にできるからです。
渡す前に確認する3点
データの扱い
個人向けプラン(Free・Pro・Max)では、モデル改善の設定を許可した場合、安全性レビューの対象になった場合、試験プログラムに参加した場合に、会話がモデルの改善に使われます。シークレット(Incognito)チャットは、設定を有効にしていても改善には使われません。法人向けプランの扱いは別の記事に分かれています。
プロジェクトの可視範囲
Team・Enterpriseプランでは、プロジェクトの作成時に「自分と招待した人だけ」か「組織全体」かを選びます。M&A案件は前者にします。
売り手の許可
案件の情報をAIサービスに入れてよいかは、秘密保持契約や仲介会社との契約、社内規程で決まります。先に確認が要ります。
Claudeのプロジェクトには、ほかにも作業に関わる仕様があります。プロジェクトの名前と説明はClaudeから参照できません。チャット間でコンテキストは共有されず、共通で使いたい情報はプロジェクトの知識(Project knowledge)に入れる必要があります。
ファイルの扱いにも制約があります。プロジェクトに置くファイルは1つ30MBまでで、文字の抽出だけが行われます。XLSXをアップロードするには、アカウントでコード実行とファイル作成を有効にしておく必要があります。決算書の表はCSVかテキストに直して渡すほうが、取りこぼしを避けられます。
社名以外にも、会社を割る手がかりがある
ノンネームシートの匿名化で見落としやすいのは、単独では無害でも、組み合わせると会社を特定できる情報です。原資料の記述を、どの粒度にぼかすかを先に表にしておきます。
| 項目 | 原資料での姿 | ノンネームでの書き方(例) |
|---|---|---|
| 社名・屋号・ブランド名 | 原資料での姿株式会社〇〇製作所 | ノンネームでの書き方(例)対象会社、またはA社 |
| 所在地 | 原資料での姿大阪府東大阪市〇〇町 | ノンネームでの書き方(例)関西圏 |
| 創業・沿革 | 原資料での姿1987年創業、2004年に工場新設 | ノンネームでの書き方(例)創業30年超 |
| 売上・利益 | 原資料での姿12.3億円、営業利益9,800万円 | ノンネームでの書き方(例)売上10〜15億円、営業利益率5〜10% |
| 従業員 | 原資料での姿47名 | ノンネームでの書き方(例)40名台 |
| 主要取引先 | 原資料での姿〇〇自動車、△△電機 | ノンネームでの書き方(例)大手自動車部品メーカー(複数) |
| 製品・特許名 | 原資料での姿独自の商品名、特許番号 | ノンネームでの書き方(例)一般名称での機能説明 |
| 代表者・役員 | 原資料での姿氏名、経歴 | ノンネームでの書き方(例)経営者の年代のみ |
項目ごとに消す・丸める・残すを決める型は、ヒヤリハット報告の匿名化で列ごとに使っている型と同じです。
ぼかし方は、買い手が検討の入口で知りたい情報を残す方向で決めます。業種、事業の骨格、規模感、収益性、譲渡の背景は残す側です。逆に、検索窓に打ち込めば会社が出てくる語は消す側に入ります。
数値は、単独の値よりも組み合わせに注意が要ります。売上の幅と利益率の幅から、元の値を逆算できることがあります。レンジは3期分とも同じ刻みに揃え、直近期の特定の値だけが浮かないようにします。
手元で数値をレンジにして、固有名詞を置き換える
匿名化はClaudeに頼まず、手元のスクリプトで行います。置換漏れをその場で止められるからです。以下は、3期分の財務CSVをレンジに丸め、メモ内の固有名詞を置き換え、禁止語が残っていれば停止する例です。
python3 -I anonymize.py memo.txtimport csv, json, sys
def band(yen, step):
m = yen / 1_000_000
lo = int(m // step) * step
return f"{lo:,}〜{lo + step:,}百万円"
def step_for(yen):
m = yen / 1_000_000
return 100 if m < 500 else 500 if m < 2000 else 1000
def margin_band(profit, sales):
r = profit / sales * 100
lo = int(r // 5) * 5
return f"{lo}〜{lo + 5}%"
rows = list(csv.DictReader(open("financials.csv", encoding="utf-8")))
for r in rows:
sales, profit = int(r["売上高"]), int(r["営業利益"])
print(r["期"], "売上高", band(sales, step_for(sales)),
"営業利益率", margin_band(profit, sales),
"従業員", f"{int(r['従業員数']) // 10 * 10}名台")
replace = json.load(open("replace.json", encoding="utf-8"))
banned = [w.strip() for w in open("banned.txt", encoding="utf-8")]
text = open(sys.argv[1], encoding="utf-8").read()
for k in sorted(replace, key=len, reverse=True):
text = text.replace(k, replace[k])
left = [w for w in banned if w and w in text]
if left:
sys.exit(f"残っている語: {left}")
open("masked.txt", "w", encoding="utf-8").write(text)replace.json には「元の語 → 置換語」の対応を、banned.txt には置換後も残ってはいけない語(町名、代表者の姓、略称など)を1行ずつ書きます。置換は長い語から順に行うので、「株式会社〇〇製作所」と「〇〇製作所」が並んでいても片方が取り残されません。
手元の環境で、2期分のダミーCSV(売上12.3億円と13.1億円、従業員47名と52名)を流すと、次の出力になりました(Python 3で実行)。
2024 売上高 1,000〜1,500百万円 営業利益率 5〜10% 従業員 40名台
2025 売上高 1,000〜1,500百万円 営業利益率 5〜10% 従業員 50名台2期とも同じレンジに収まるため、増収の傾向は消えます。成長を伝えたい案件では、金額のレンジとは別に「直近3期の売上は増加傾向」のような定性の記述を、売り手の了承を得て足します。
禁止語が残ったときは、スクリプトが残っている語と表示して終了し、masked.txtは作られません。禁止語リスト自体を外部へ渡さないよう、このファイルはプロジェクトに置かないでください。
Projectsに置くのは、匿名化後の資料と書き方のルール
Claudeのプロジェクトに入れるのは、masked.txtと、レンジに直した財務の表、書式の見本です。原本やreplace.jsonは入れません。プロジェクトの知識は、そのプロジェクト内のすべてのチャットで参照されます。
プロジェクトの指示(Project instructions)には、次のような書き方のルールを置きます。例示です。
あなたは、M&Aの売り手側アドバイザーの補助として、
ノンネームシートの文面を下書きします。
- 社名・地名・人名・取引先名・製品名を、入力に無い形で補わない
- 数値は、資料に書かれたレンジだけを使い、1つの値に戻さない
- 資料にない強みや実績を書かない。足りない項目は「要確認」と書く
- 事実の列挙と、買い手向けの訴求文を分けて出す最後の2行が実務では効きます。ノンネームシートは訴求を狙うあまり、資料にない実績を足しやすい文書です。足りない項目を「要確認」で返させれば、売り手に聞き直す項目の一覧にもなります。
企業概要書の下書きを依頼する
構成は、仲介会社や取引先の金融機関が決めた書式があれば、それに合わせます。書式がなければ、次の順で下書きを組むのが一般的です。
ノンネームシートの下書きを作る順序
- 1
事業の概要を書く
業種、事業の骨格、顧客層を、一般名称で書きます。
- 2
強みと市場環境を書く
資料に根拠がある強みだけを残します。根拠が薄いものは「要確認」に回します。
- 3
財務のハイライトを書く
レンジに直した売上、営業利益率、従業員数の表を載せます。
- 4
譲渡の概要を書く
譲渡の背景、希望するスキーム、希望時期を書きます。価格の希望を載せるかは売り手と決めます。
- 5
開示の条件を書く
秘密保持契約の締結後に社名や詳細資料を出す、という流れを書きます。
依頼文は、手順の1と2をまとめて渡します。
プロジェクトの資料(masked.txt と財務レンジ表)だけを根拠に、
ノンネームシートの「事業の概要」と「強み」を下書きしてください。
各文の末尾に、根拠にした資料名と箇所を [ ] で付けてください。
資料にない項目は「要確認」とだけ書いてください。根拠の箇所を文末に付けさせると、完成後の点検で、資料にない記述を見つけやすくなります。Claudeが出した文は下書きです。売り手に事実確認をしてもらってから、書式に清書します。
財務数値の裏付けが弱い案件では、先に3期分の決算書を分析する手順を済ませておくと、レンジの根拠が明確になります。決算書3期分から所見まで作る流れはローカルベンチマークの財務分析の記事にあります。
完成後に、会社を特定できないか点検する
仕上げの点検は、書いた文脈を持たない別のチャットで行います。同じチャットだと、置換前の情報が残っていて、点検がゆるくなります。
再識別の点検の順序
- Q新しいチャットに完成した文書だけを貼り、特定の手がかりを列挙させたか?答えが先にこれを行う答えがはい
文書だけを渡し、「社名・所在地・取引先を推定できる記述を、根拠の文ごとに挙げてください」と依頼します。挙がった文は、ぼかし直します。
- Q残した特徴的な語を検索窓に入れて、会社に行き着かないことを確かめたか?答えが人の手で検索する答えがはい
製品名、受賞歴、「国内唯一」のような言い切りは、検索で会社に結びつく語です。表現を一般化します。
- QWord・PDF・Excelのファイルのプロパティに、作成者名や会社名が残っていないか?答えが書き出し前に確認する答えがはい
文面を匿名化しても、ファイルの属性に会社名が残ることがあります。プロパティの情報を削除してから書き出します。
売り手に確認を依頼する
最後は売り手に読んでもらいます。社内の人が「これは自社だ」と分かる文書は、取引先や同業からも分かることがあります。
Claudeに洗い出させた手がかりは、あくまで文面から見つけた候補です。外部の情報と突き合わせた結果ではないので、「特定されない」ことの保証にはなりません。同業の担当者や仲介会社の目で最終確認する工程は残ります。
買い手側は、受け取ったノンネームシートを外部のデータベースと突き合わせて候補を絞ります。企業データを引く手段はPitchBook連携の記事に、検討が進んだ段階で何を読むかはデューデリジェンスの横断分析の記事にあります。成約後の統合作業はPMI100日計画の台帳の記事で扱っています。
落とし穴
丸めた数値が、別の資料で元に戻る
ノンネームシートで売上を「10〜15億円」にぼかしても、同じ会社の登記や信用調査の資料から、近い値は推定できます。数値のぼかしは「検討の入口で割れにくくする」ためのもので、秘密を守る仕組みの本体は秘密保持契約と開示の段階管理です。
まとめ
ノンネームシートの作成では、Claudeの文章力よりも、渡す資料の設計が結果を左右します。原本は手元に置き、レンジと一般名称に直した資料だけを、非公開のプロジェクトに入れる。依頼文には「資料にない項目は要確認」と書く。完成後は、別のチャットと人の目で再識別を点検する。この3点が決まっていれば、下書きの速さを使っても案件の秘密を崩しにくくなります。