Claudeに未公表情報を入れてよいか — インサイダー規制と設定の確認順
決算短信の下書きをClaudeに渡す前に、金融商品取引法166条・167条の2の線引きと、学習に使われない設定の確認順を並べます。
決算短信の下書きをClaudeに校正させたい。ただし開示前の数字をAIに入れて、インサイダー規制に触れないか。経理やIRの担当者が最初に抱く疑問です。
金融商品取引法の条文には、AIへの入力を禁じる規定がありません。禁じられているのは、重要事実を職務上知った人が公表前に売買すること(166条)と、利益を得させる目的で他人に伝達し、または売買を勧めること(167条の2)です。入力の可否は、この2条の要件に照らして「誰が、何の目的で、どの経路に出すか」で考えます。
その経路の安全性は、Claude側の学習設定と契約の種類で決まります。本記事は条文の構造を押さえたうえで、設定を確認する順番までを並べます。決算短信そのものの作り方と点検は決算短信をClaudeで点検する手順に任せます。
決算情報はどんな「重要事実」に当たるのか
インサイダー取引規制とは、上場会社の投資判断に重要な未公表の事実を知った人が、その公表前に株式などを売買することを禁じる規制です。「重要事実」の範囲は166条2項が定めています。上場会社本体については、次の4つの型に分かれます。
| 号 | 型 | 決算に関わる例 |
|---|---|---|
| 1号 | 型決定事実 | 決算に関わる例剰余金の配当、自己株式の取得、株式の分割、合併 |
| 2号 | 型発生事実 | 決算に関わる例災害による損害、主要株主の異動、上場廃止の原因となる事実 |
| 3号 | 型決算情報 | 決算に関わる例売上高・経常利益・純利益や配当の予想値と、新たな予想値または決算との差異 |
| 4号 | 型バスケット条項 | 決算に関わる例上の3つ以外で、投資者の判断に著しい影響を及ぼす運営・業務・財産の重要な事実 |
決算短信の下書きに直結するのは3号です。公表済みの直近の予想値と比べて、新たに算出した予想値や当事業年度の決算に差異が生じたとき、その差異が重要事実になります。ただし差異が内閣府令で定める基準に該当するものに限られるため、数字が動けば常に重要事実になるわけではありません。基準の具体的な数値は、条文ではなく内閣府令にあります。
配当は1号トに入っています。増配や減配の決定も、決算とセットで扱われる情報です。
子会社の事実にも注意が要ります。上場会社の子会社に関する会社関係者は、5号から8号の事実に限って規制の対象になります。連結の数字を扱う担当者は、親会社の事実だけでなく子会社分も見る必要があります。
166条と167条の2は何を禁じているか
2つの条文は、禁じる行為も対象者も違います。
| 条 | 禁じる行為 | 目的の要件 |
|---|---|---|
| 166条1項 | 禁じる行為会社関係者が、重要事実の公表前に売買等をすること | 目的の要件なし |
| 166条3項 | 禁じる行為会社関係者から伝達を受けた人(情報受領者)が、公表前に売買等をすること | 目的の要件なし |
| 167条の2第1項 | 禁じる行為会社関係者が、他人に売買等をさせて利益を得させ、または損失を避けさせる目的で、重要事実を伝達し、または売買を勧めること | 目的の要件あり |
経理やIRの担当者は、166条1項1号の「使用人その他の従業者」にあたります。その職務に関して重要事実を知ったときが対象です。この立場は、会社関係者でなくなってから1年以内の人にも及びます。
会社関係者は従業者だけではありません。同項4号は、上場会社と契約を結んでいる人や交渉中の人を挙げています。契約の締結・交渉・履行に関して知ったときが対象で、相手が法人ならその役員等も含みます。決算資料を扱う外部の協力先が、ここに入りえます。
167条の2が問うのは、伝達の目的です。条文は「利益を得させ、又は損失の発生を回避させる目的をもつて」と書いています。校正や点検のための入力は、通常この目的とは別のところにあります。
「公表」されるまでが未公表の期間になる
重要事実が「公表された」と扱われる条件は、166条4項にあります。上場会社が政令で定める措置をとったことか、有価証券報告書などの書類が公衆の縦覧に供されたことです。措置の中身は、同法の施行令30条が定めています。
- 代表取締役などが、時事を報じる新聞社・通信社、産業・経済を報じる新聞社、日本放送協会・基幹放送事業者のうち少なくとも2つの報道機関に公開し、そこから12時間が経過すること
- 上場している金融商品取引所に通知し、その通知した事実が内閣府令の定めるところにより取引所で公衆の縦覧に供されること
どの方法が使われるかは、上場先の取引所の規則との組み合わせで決まります。実務上は、自社が決算短信を開示する手順の中で「どの時点で公表済みになるか」を確認しておくのが出発点です。開示の予定時刻より前のドラフトは、すべて未公表の情報として扱うことになります。
Claudeに入力する行為を条文に当てはめる
条文の構造から、論点を3つに分けて考えられます。
1. 売買をするのは誰か。166条が禁じるのは売買等です。入力しただけでは売買になりません。担当者が自社株や関連銘柄を公表前に売買すれば、Claudeを使ったかどうかと関係なく166条の問題になります。
2. 伝達の目的はあるか。167条の2は目的要件つきの規定です。他人に利益を得させる目的がなく、校正のために入力する場合は、この要件を満たしません。入力の内容を第三者に見せる場面ほど、目的の有無が問われやすくなります。共有リンクや共有Projectで社外の人が読める状態にするのは、その典型です。
3. 情報はどこに残るのか。実務上の中心はここです。入力した内容が、モデルの学習、保持、他の利用者への露出のどれに回りうるかで、情報管理の面のリスクが決まります。条文が直接答えない部分を、次の節で扱う設定が埋めます。
条文上の線引きと、会社の守秘義務や社内規程は別の層です。法律に触れなくても、未公表情報を承認されていない経路に出せば、社内ルールの違反になりえます。
学習に使われない設定を確認する順番
Claudeが入力を学習に使うかは、アカウントの種類で変わります。Anthropicのプライバシーセンターは、個人向けと商用でページを分けて説明しています。確認は次の順番で進めると漏れが出にくくなります。
- 使っているアカウントの契約を確認する
- 個人向けなら、モデル改善の設定を確認する
- Incognitoチャットの使い方を決める
- フィードバックボタンの扱いを決める
- 保持期間と共有範囲を確認する
1. 契約の種類
Free・Pro・Maxと、それらのアカウントで使うClaude Codeは個人向けのConsumer Termsです。Claude for WorkとAnthropic API、Claude Govなどは商用の条件です。商用の製品では、入出力を既定でモデルの学習に使わないと説明されています。
業務で未公表情報を扱うなら、個人アカウントではなく会社が契約した商用の環境が出発点になります。プランごとの学習の扱いはClaudeの個人情報の一次資料の読み方に、個人向けの規約改定の経緯はConsumer Termsの学習利用の改定にまとめてあります。
2. 個人向けでの「モデル改善」の設定
個人向けでは、学習に使うのは次のいずれかの場合です。
- 利用者がチャットとコーディングセッションをClaudeの改善に使うことを許可した
- 会話が安全性の審査対象としてフラグを立てられた
- Trusted Tester Programへの参加など、学習への参加に明示的に同意した
設定は、設定のPrivacyにある「Help Improve our AI models」のトグルで切り替えます。オフにすると、以降の新しいチャットとセッションは将来の学習に使われません。すでに始まった学習や、学習済みのモデルには、過去のデータの影響が残ります。
オフにしても、安全性の分類器にフラグを立てられた会話は、信頼性・安全性のモデル改善などに使われる場合があります。「オフにしたから学習ゼロ」とは言い切れない点を押さえておく必要があります。
3. Incognitoチャット
Incognitoチャットは、モデル改善の設定がオンでも学習に使われません。個人アカウントで一時的に扱う場合の保険として使えます。ただし保持期間や社内ルールの話は別で、未公表情報を個人アカウントに入れてよいという根拠にはなりません。
4. フィードバックボタン
サムズアップ・ダウンのボタンを押すと、関連する会話全体が最長5年、Anthropicの安全なバックエンドに保存されます。保存されたフィードバックは、ユーザーIDから切り離したうえで、効果の分析や研究、モデルの学習に使われる場合があります。
これは商用の製品でも同じです。入力は既定で学習に使われなくても、フィードバックとして送れば学習に使われうる、というのが公式の説明です。未公表情報を含む会話では、このボタンを押さない運用が安全側です。
TeamまたはEnterpriseのオーナーは、組織の設定でメンバーのフィードバック送信を止められます。Organization settingsのData and Privacyにある「Rate chats」の設定が該当します。
5. 保持期間と共有範囲
学習に使われない設定と、データがどれだけ残るかは別の問題です。保持期間の管理は、Enterpriseならデータ保持期間のカスタム設定で管理者が調整できます。共有は、開示前の資料を扱うProjectを少人数に限り、社外には共有しないのが基本です。
社内ルールに落とすときの区分例
入力の可否を二択にすると運用で破綻します。情報の性質と環境で段階を分けると、現場が迷いません。次の表は区分の一例です。
| 情報 | 個人アカウント | 会社契約の商用環境 |
|---|---|---|
| 公表済みの決算・開示資料 | 個人アカウント可 | 会社契約の商用環境可 |
| 数字と社名を置き換えた文章表現の相談 | 個人アカウント条件付き | 会社契約の商用環境可 |
| 開示前の決算数値・配当・予想修正 | 個人アカウント不可 | 会社契約の商用環境承認した範囲で可 |
| 合併・資本政策などの決定事実 | 個人アカウント不可 | 会社契約の商用環境原則不可、例外は法務の承認 |
最後の行の決定事実は、166条2項1号に挙がる事実そのものです。この表は規制が定めた区分ではなく、運用上の例示です。
数字と社名を置き換える方法は、文章表現の相談に向いています。たとえば次のように指示します。
次の文章は決算の説明文です。社名はA社、数値はXと表記しています。
読み手に誤解を与えやすい表現と、主語が曖昧な文を指摘してください。
数値の妥当性は判断しないでください。置き換えは万能ではありません。文脈から会社や数値が推測できるなら、置き換えても実質は同じ情報です。特定できるかどうかは、実際の文章を見て判断する必要があります。
規程に入れる文面の例も示します。公式の文言ではなく、書き方の見本です。
【未公表情報の生成AI利用に関する定め(例)】
1. 開示前の決算情報および重要事実は、会社が契約した環境でのみ入力できる。
2. 前項の環境でも、フィードバック送信は行わない。
3. 入力できる担当者と共有範囲は、情報管理責任者が事前に指定する。
4. 個人のアカウントには、公表前の情報を入力しない。違反した場合の罰則
最後に、規制の重さを確認しておきます。罰則は条文ごとに決まっています。
| 条 | 内容 |
|---|---|
| 197条の2 | 内容166条1項・3項の違反は、5年以下の拘禁刑もしくは500万円以下の罰金、またはその併科 |
| 197条の2 | 内容167条の2第1項の違反は、同じ罰則。ただし伝達や推奨を受けた人が、公表前に実際に売買等をした場合に限る |
| 207条 | 内容従業者が法人の業務に関して違反したとき、法人に5億円以下の罰金刑 |
| 175条 | 内容166条1項・3項の違反者への課徴金。売付けなら、売付額と公表後2週間の最安値で計算した額との差が基準になる |
167条の2の違反は、伝達しただけでは刑事罰の対象になりません。伝達を受けた人が実際に売買した場合に限る、という限定が条文にあります。
確認の順番のまとめ
Claudeに未公表の決算情報を入れてよいかは、次の順で確認できます。
- その情報が166条2項のどの号にあたり、いつ公表されるかを確認する
- 入力の目的が校正・点検で、第三者に利益を得させる目的がないことを確認する
- 会社契約の商用環境か、個人アカウントかを確認する
- 個人向けならモデル改善をオフにし、フィードバックは押さない
- 共有範囲と保持期間を、情報管理責任者が決めた範囲に収める
学習に使われない設定は、規制を満たすための条件ではなく、情報が思わぬ場所へ出る経路を狭める手段です。規制の要件と情報管理の設定を別々に確認すると、両方の漏れを防げます。